教職員評価制度に対する全教静岡(全静岡教職員組合)の意見

■ はじめに

 評価をどう考えるか、評価とはどういう意味を持つものか考えることは当然であり、県教委が言うように「すでに現在進行中」であろうが、常に原点に立ち戻り考えていかなければならない。
 私たちは(人は)、「評価を求めている」「認めてほしと願っている」・・・そして、「その評価によって自らの存在を確かめたい」「評価によってさらによく生きたい」「自己の意味を確かめ発展させたい」と願っている。言い換えれば、私たちは(人は)、「あやまった評価によって自分自身がつぶされる」事実を知っている。私たちが教育活動の中で評価についての基本としていることは、①元気になる評価であること  ②他者との比較による評価はマイナス面が強い
こと
果たして、現在進められようとしている教職員評価制度がこの原則に合致したものであろうか。逆の方向を押し進めるものになっているのではないか。

Ⅰ 試行を含めた進行中の評価制度導入に反対する

① 協力者会議自体の答申を評価できない。出発点としての協力者会議のあり方自体にこの問題に対応する本質的誤りがあった。さらに委員会側の給与にリンクさせたい思いが、会議の総意より先を走っていると感じられる。

② 何より、導入すれば個人の資質が向上し、学校が活性化するという説明・根拠が示されていない。
 そもそも、「学校の活性化」とはどういう状態を言うのか分析がなされているとは言えない。現場感覚で言えば、「どこがどう活性化していないというのか」「どう変われば活性化したというのか」見えていないなかで活性化論を進めてもナンセンスと言うしかない。
「児童生徒の変容を大切にする」(県教委)視点から、県教委が、どのように活性化できた学校の姿を描いているのか、具体的に示してほしい。県教委が目ざす「定量的」に。
 また、先行自治体のシステムを学ぶだけでなく、導入した自治体の結果から「活性化」がどうなったのか、県はそれをどう受け止め、今回の計画案に反映しているのか明らかにすべきである。成功しつつある実例などを示してほしい。
□参考例: 00年導入の東京都の実態 05年度の調査(06年8月発表) ・マイナスの影響がある86.5%  ・意欲がわくようになった0.3%。5カ年たって制度的には定着のようすが見られる時期におけるこの結果。さらに学校の活性化に役立っているは0人(母集団2000人)は異例だ。(都高教発表「人事考課制度黒書Ⅲ」

③ 民間において評価制度が積極的に導入されたのは、総人件費を抑えることによって競争に勝つための手段であり、企業内の活性化を第一の目的としたものではない。にもかかわらずそれを学校教育の場に持ち込むこと自体道理がない。
そして、成果主義を積極的に導入した企業は今苦しんでいる。働く人々を幸せにしていない。横のつながりをうばい、人々を孤立化させていると認めざるを得なくなっている。
□参考例: 社会経済生産性本部メンタルヘルス研究所のアンケート調査「心の病の増加の背景に成果主義あり:個人の仕事が増加し横のつながりが薄くなったこと」(06年8月)、経済産業省の研究会・・・「成果主義に構造欠陥。労働者の意欲低下、職場疲弊」(06年8月)

④ 学校教育の場(教育の場と言ってもよい)において、競争が教育成果を生むことにつながるという学問的研究は数少なく、学問的には圧倒的に否定的な結果が報告されているという。すなわち、競争によって真の資質向上は辞退できないことは学問的に立証されている。(佐藤学著「習熟度別指導の何が問題か」岩波ブックレット No.612) そして 、個々の教職員の資質向上が(仮にそういうことができたとしても)組織の活性化につながるという展開が、必ずしも真とはならない。

■ まとめて)民間の成果主義は破綻に近い。教員評価制度を早期に導入している地方公共団体においても矛盾が吹き出している。(東京都の主幹問題等)「適度な競争は活性化を生み出す」などという単純な構図ではないことを認識すべきである。

Ⅱ 教職員評価制度の導入が、今学校が抱えている諸問題解決と同時進行ができるかという考察もなされていないままで展開されている

① 県民向けには「学校批判」があるから「新評価制度」を導入し、活性化するんだという単純な構図しか見えてこない。しかも、学校批判の核心=「教員の資質の低下」について具体的な考察がなされていない。委員会も学校も、様々な「不祥事」と教員の資質・能力とは分けて考えるべきものを一般市民感覚で同等に扱い、この種の批判にまともに応えてようとしてしまっている。
 県民・保護者・住民の教員に対する満足度が不充分であることを資質向上を求める理由とするならば、その背景として第一に、教員に対する要求の多さを問題とすべきである。我々が主張し続けているように、「授業に専念できる環境」が全く保障されていない中で、授業力を中心とした教員の資質向上を唱うのは、むちゃくちゃな展開である。親からの要求をそのまま「求められる教師像」としてくくるわけにはいかない実情を放置している今日の教育委員会・管理職。親たちからの要求に耐えられなくなって倒れるとりわけ若い、新採・2年目・3年目の教員の多いこと。

② 多忙化問題との関わりで言うと、教員の勤務実態が明らかにされつつあるがまだまだ充分ではない。例えば、単に休憩休息がとれていないというのでなく、休む間なく奔走している具体的な姿を精査し、その中から教員の資質に関することがらがどう浮かびあげられるのか検討すべきである。教員のみならず学校現場に働く職員に皆同様の視点が求められる。多忙化を前提とした資質向上などありえない。

■ まとめて)教職員の評価を構築するために、それが子どもたちのために生きていくものとなるためには膨大な量の検討が必要であると私たちは理解している。
 労働安全衛生に関して、ほとんど無策に近い状況を続けてきながら、評価についてのみ暴走するのは認められない。
いじめが大問題となっているのに、現場では「いじめ」を論議する時間もない。ただ、いじめを学校から追放しようのかけ声だけが飛び交っている。これが教育の場の姿だろうか。
 こうした中で「評価」がひとりずかずかと入ってくることは許されない。

Ⅲ 試行の中身と運営に関する具体的な意見と質問

① 自己目標の視点が極めて限定されたピンポイント内容となっている。教員の仕事を学校教育目標に沿ってピンポイント式に目標化させる発想は、数値化評価の手法である。評価できるようにするために。何よりも評価が先にある。教員の仕事は、包括的なものであり、集団性・同僚性など重要だが極めて評価できにくいものが多い。「教科指導」、「教科外指導」、「学校運営」といった項目で分けられない。

② 来年度試行計画案では、県教委が価値づける「校長との面談」が後退していると思われるがどうしてなのか。面談の時間が確保できないから状況に応じてカットできるとしたのか。「面談と事実評価」が目玉としてきた姿勢が早くも崩れているではないか。
 義務制でいうと、校長(二次評価者)の役割が軽減されて、教頭(一次評価者)にかかる負担が増加すると思われる。現実的には、教頭の仕事をこれ以上増やすことは極めて困難で、「よき」教頭が果たしている諸々の重要でかつ見えにくい調整的な仕事などができにくくなる。
 Ⅱのところで述べたように、今日の課題と同時解決ができるかどうかの吟味なしに、皆が納得と理解ができる新評価制度の導入はおよそ困難である。「やるしかない」は許されない。先にやるべきことはいくらでもある。

③ 「教職員として基盤となる資質能力」観点のどこを見ても評価の困難性が明白である。たとえば、「教育公務員としての社会的責任を自覚し、モラルに則った行動をとる」について言えば、事件を起こした者の評価はたやすいかもしれないが、高い評価は何を根拠にしてつけられるのか、評価者にとっても頭の痛い内容であろう。安易な評価はあってはならない。

④ 試行校の経験者の声から、決定的な問題を2つ指摘したい。 
○ 評価制度が十分な理解された上で行われたものではなかったこと
 ○ 教員はやる気になってはいなかったこと
資料P55,56のアンケート結果に疑問と不安を持つ。説明に要した時間が1時間以内では、ほとんど「理解」と「やる気」はつくれないはずだ。校長からの一方的な説明でなく、「協議の場」が必要である。評価制度は、「する側」と「される側」協同の仕事であり、そのような認識がなくして、資質の向上や活性化など全く望めないと考えるがどうか。

⑤ 良い悪いは別として、「イベント」実践の目立つ教員が優遇される傾向をどう考えているのか。地味な活動・子どもと寄り添った表に出にくい教師の姿が評価されにくく、学校から消えていく心配はないのか。

⑥ 評価者のための授業観察記録ワークシートなどを用意してはならないのではないのか。評価者にとって意味あることであろうが、こうしたものに頼ることから評価自体が形式化し、結果として授業もだめにすることは明らかである。このようなメモ帳を持ち歩いて教室を回る校長・教頭が職場を活性化すると本当に考えるのか。 

⑦ そもそも評価者面接が対等の立場で行われることはむずかしい。とくに私たち日本人が自身の実績を評価者に語ることはできにくい。高圧的な管理職も少なくない。従って、本人に加えて1名(支援者教員)を同席させることを提案したい。

⑧ 「意見対応の流れ」が1ヶ月で片付くとは思えない。年度をまたぐことも考えられる。学校によっては、かなりの「不服」出ることも考えられる。具体的にどう対応するのか。審査会は教育委員会内でなく第三者機関とすることになっているが、そうなるとさらに日数がかかるだろう。

⑨ 公平な評価を実施するために、その学校での条件整備の有り様が大きく関わると考えるがどうか。

⑩ 一連の教員不祥事発生を、現在行われている「評価」とどのように関係づけた総括を行っているのか。そこから、学んだことは何なのか。

■ おわりに

 本年度の試行がまさしく手探りのなかで行われ、まだ完結してはいない中で早々と来年度の全校試行を決めていることに、私たちはとまどいを覚える。このように重大な内容を持ち、かつ非常に多くの課題を含んでいるのにどうしてこんなにも急ぐのか、十分にていねいな理由を求めたい。

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