尾崎先生の自死に公務災害の認定を

静岡『尾崎裁判」とは

2000年4月、静岡県小笠郡(現・掛川市)の小学校に勤務していた尾崎善子先生(当時48歳)は養護学級担任中、用語学校から養護学級へ転入したいと希望した多動性障害のA君(教育委員会の就学指導では、入学時、養護学校がふさわしいとされていた)の2週間にわたる「体験入学」により、授業が成りたたなくなり、在籍児童と築き上げてきた学級体制が崩され、これによる劣しい心身の負担から「うつ病」を発症してしまいました。その後、体調が思うように回復しないため、4月から休職し、症状の回復に専念しました。しかし、それから4ヵ月後の8月2日、志半にして「苦しい。もうこれ以上生きていけない」
と自ら命を絶ちました。

家族は、この件で「公務災害一の認定申請をしたところ、地方公務員災害補償金支部から「公務外」とされてしまいました。
そこで、支部審査会に審査請求しましたが棄却。その後、中央審査会に審査請求したものの3ヵ月経っても採決がないため、2004年8月、静岡地方裁判所に公務外認定処分の取り消しを求めて提訴したのです。

私たち全教静岡も「尾崎公務災害認定を支援する会」をつくって、支援をはじめています。裁判は現在、書類の提出がほぼ終わり、いよいよ中身に入っていくところまで、すすんできています。

教員の精神疾患増加とその要因

2004年1月に、高裁で逆転勝利判決を勝ちとった大阪の「鈴木裁判」も、同年9月に
逆転認定された京都の「荻野裁判」も過労死に対する判決でした。「尾崎裁判」のような自死に対する「公務災害認定」は全国のなかでもまだありません。

いま、教育現場では、教員の精神疾忠が激増しています。文科省の調査によると、2003年度に病気で休職した公立学校の教員は、全国で6017人にのぼり、そのうち精神疾患による休職者は3194人、全体の53%をしめ、ここ10年問で2.7倍になったとされています。静岡県内では精神疾患がこの10年間で約4倍に増えているという県教委の報告もあります。「教員特有の理由としては保護者や子どもとの関係が複雑化していることが一因と考えられる」と県教委は語っています。

尾崎先生の事例は、けっして特例ではなくいつでも、どこでも起こり得る事例な
のです。

本人の脆弱性に問題あり?

最近提出された基金側の準備書面を読み、基金側のいいたいことがはっきりしてきました。「尾崎先生の精神疾忠は本人の弱さにあった」「体験入学は過重なものではなかった」の2点がそれです。

まず、1点目。
「公務起因性は、当該職員と職種等が同等程度の職員との対比において、同様の立場にある者が一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価する必要がある」「客観的にさほど大きなストレスではないにもかかわらず、当該固体に精神疾患が発症した場合には、その原因は本人の脆弱性にあると結論せざるをえない」としています。

書面では、「父親にも精神病の入院歴がある」「高校時代に不登校の時期があり、もともと精神面の脆窮性を有していた」「入院歴をみると、環境の変化に影響を受けやすいことがうかがわれる、ストレスに対して耐性が弱い」等々、家族や故人の病歴を都合のいいように利用したり、解釈したりしたうえで、「2週問の体験入学が客観的にみて精神疾患を発症させるほどのものではなかった」「公務起因性の認認定基準には該当せず、本人の脆弱性にある」と決めつけているのです。

もう1点については、「就学判定時と比較すると、A君の問題行動は大きく改善されていた」「体験入学は慎重な教育的紀慮に基づいてされた」ことで、あり、「体験入学中、いくつかの問題行動はみられたものの、A君の行動は障害のある児童の行為としてはあり得る範囲内」「期間中は関係機関の支援体制もとられていた」「A君と尾崎さんはずっと一緒ではなく、相手をしていない時間が相当あった」等とし、「体験入学は精神障害を発症させる程度に過重であったとば認められないと論じています。

このような、「本人の脆弱牲に問題があった」とする基金側の結論は、到底認めることはできません。

尾崎先生の弟さんは、「姉の死を無駄にはしたくない」「姉と同じような犠牲者を出してはいけない」と声を大にしで叫んでいます。私たち「支援する会」ではその声をしっかりと、一受け止め、同じような事態を引き起こさないためにもがんばっています。

「公務災害裁判の公正な判決を求める要請著名」(個人・団体)のとりくみがはじまりました。全国のみなさんに大きな支援を要請します。私たちにぜひ力をお貸しください。