最高裁でも勝利しました!〜尾崎善子先生の公務災害認定を求める裁判

 2009年10月27日、最高裁は尾崎善子さん(静岡県小学校養護学級担任・静岡県教組小笠支部組合員)の公務災害認定を求める(公務外認定取り消し)裁判で、地方公務員災害補償基金(以下 基金)による上告を棄却する決定を行いました。これにより2008年4月24日の尾崎さんの公務外認定を取り消した(公務災害と認めた)東京高裁判決が確定しました。  

多くの皆様のご奮闘、ご支援に感謝

 「善子の死を無駄にはしたくない」「学校現場で同じような犠牲者を出したくない」の思いでたたかってきた尾崎さんの弟の正典さん、お父さん、お母さん、ご親戚の方の願いがやっと報われました。善子さんが亡くなられた直後から、学校へ、教育委員会へ、全教へ、無視されましたが尾崎さんが所属された県教組、同支部へと足を運ばれ、独自にも医療機関にも問い合わせ、うつ病についても学習されるなど、その奮闘ぶりには頭が下がる思いでした。安健センターを通じて静岡市教組にも訪れ、そこから支援する会が立ち上がることにもなりました。最近では高裁判決を多数印刷し、各地、各団体に届ける活動も精力的でした。
 地裁、高裁、そして最高裁と、塩沢弁護士をはじめとしたはままつ共同法律事務所の弁護士のみなさんは、理解しにくい学校現場の実態やうつ病治療等の状況、過去の判例などを丹念に調べ、また基金準備書面や上告趣意書などを詳細に検討し、常に的確な反論(準備書面)を提出してくださいました。そして、法廷後の集会や事務局会議、対策会議等々で、進展状況のみならず難しい裁判の仕組みから懇切丁寧に私たちに説明していただいたことは、支援する運動の広がりへのエネルギーとなりました。さらに上告された段階からは過労死弁護団も加わっていただき知恵と力を与えてくれました。お忙しい中提出していただいた天笠医師の意見書は大きな力となったと同時に、私たちもうつ病に対する認識を新たにするなど、この裁判への確信を深める重要な契機となりました。
 静岡県働くものの安全と健康を守るセンター(安健センター)や静岡高教組、静岡県評は、基金への申請、審査請求の段階から先頭になって取り組んでいただきました。県内はじめ全国の労災、公災認定のたたかいと連携し、交流を深めることができたことは、運動への大きな励ましとなりました。ほぼ毎月、早朝からの最高裁宣伝・要請行動での全国からの連帯と励ましは、私たちを勇気づけました。
 弟の正典さんが、9年前に全教に相談したこと、これも重要な一歩でした。元全教役員の浦岡さんは、東京から浜松まで対策会議に駆けつけてくださり、意見書提出のみならず重要な証人の役まで引き受けてくださいました。情け容赦ない基金側弁護士とのやり取りの場で、誠実にかつ毅然と答える浦岡さんの姿に、傍聴した私たちが感動しました。
 全教や教組共闘、政令市教組の会合・集会の場などで支援を訴えたところ、県内をはるかにしのぐ団体署名、個人署名が届き、私たちが赤面する思いでした。また、鈴木裁判、大友裁判、荻野裁判、東條裁判など全国のたたかいから、直接間接の助言や激励をいただきました。最近は奈良や広島などからの連帯のメッセージもあり、私たちが身を引き締めたところでした。
 尾崎さんの地元小笠地区の教職員はじめ静岡県内の教職員、全教静岡も、9年におよぶたたかいで奮闘していただきました。ここ静岡で、署名や意見書を書くこともお願いすることも、なかなか困難な中で、運動を続け、広げてくださいました。地裁で14回、高裁は東京へ5回、日中の裁判傍聴は大変でしたが、退職教職員はじめ常に多くの方が駆けつけてくださいました。本当に心より感謝申し上げます。

確定した東京高裁判決の意義

 さて、確定した東京高裁の意義は次の点にあると考えます。

1.事実認定は同じながら基金の主張・静岡地裁判決を真っ向から否定

 2007年3月の静岡地裁判決は、
① 2週間の養護学級体験入学の受け入れは大変ではなかった。
② 4月に特休に入って3カ月半後の自殺は「職場復帰」へのストレスだった。
③ うつ病による自殺は尾崎さん個人の「脆弱性」の問題(平均的な教員なら罹患 しない =平均人基準説)。   
というものでした。つまり基金の主張を鵜呑みにしたものでした。
 しかし東京高裁は、事実認定はほとんど地裁判決と同じながら、全く正反対の観点で判決を出しました。
 基金が上告した主な理由の一つに、「高裁は…公務起因性を判断する事実認定については一審判決と同じなのに、結論が正反対になっている。それにもかかわらず、同じ事実認定を前提としながらも、なぜ結論が異なったのか、その理由を述べていない。明らかに理由不備がある。」としていたのですから、これが退けられたことになります。これは静岡地裁の判決・判断への批判ともなっているのです。

2.質的な業務の過重性(体験入学の過重性)を認める

 長時間残業などの時間的な過重性ではなく、質的な業務の過重性を認めた、恐らく初めての判決です。基金も地裁の判決も、尾崎さんが体験入学中も年休を取っていた、残業も多くなかったなどを公務災害否定の論拠にあげていました。
 ところが東京高裁判決は、異常な2週間の体験入学について「本件体験入学実施により、それまで経験していなかった尋常でない事態に次々と遭遇し、精神的にこれに付いていくことができず、…それまで20年間培ってきた教員としての存立基盤が揺らぎ…精神的に深刻な危機に陥って、気力を使い果たして疲弊、抑うつの状態になった」と、その質的な過重性を認めました。
 そして、「体験入学実施期間中に本件体験入学実施による精神的重圧によりうつ病に罹患し、復職間近になって重症化し、うつ病に基づく自殺企図の発作によって自殺したものとみとめられるのであり、」「本件体験入学の実施の公務としての過重性は優に肯定することができる」としたのです。

3.うつ病は「普通の体の病気」、個人的な「脆弱性」の問題ではない

 また気分障害うつ病等)について、最近の医学的知見から「特殊な遺伝疾患ではなく普通の体の病気」「もともと周期性の病気」等、長い解説を加えています。
 基金や地裁判決は、尾崎さんの個人的な「脆弱性」をことさらに強調していたのですが、東京高裁判決は、「うつ病になりやすい性格とは、『問題のある性格傾向』という意味ではなく、むしろ、適応力のある誠実な気質と強く関係する」と明快です。
 さらに、「几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実という(うつ病に関係の深い)性格傾向を有していても、柔軟性にやや欠ける者であれば教職員として採用するにふさわしくないとは到底いえない」とし、尾崎さんの場合「20年間に及ぶ教員としての十分な勤務実績を上げたことによって裏付けられている」とも言っています。
 基金の上告理由の中には、「(東京高裁判決は)うつ病に関する医学的知見の認定についても、医学上の事実認定についても根拠を示さず結論を導き出しているのは理由齟齬ないし理由不備である」と言っていました。これが否定されたのですから、働く者にとってのうつ病の罹患(もちろん予防も)について、今後使用者の認識や対応が迫られることになります。

4.公務災害認定が法(地方公務員災害補償法)の趣旨

 基金や地裁は、「弱い人のために」税金を使うわけにはいかないと主張していました。東京高裁判決はその冷たさに対して、憤っているかのように次のように結んでいます。
 「当該公務員が几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実、柔軟性にやや欠けるという うつ病に関係の深い性格傾向を有していたことを理由に、当該公務員を公務災害の対象 としないことが 法の趣旨であるとは、到底理解することができない。」
地方公務員災害補償法の意義を明確に示した判決と言えると思います。

5.平均人基準説は、最高裁判例にないことが示された

 基金の「上告受理申立理由書」では、「公務起因性について、高裁の判決は最高裁判例に相反している。今までの公務関係の最高裁判決は、公務に過重性が認められなければ、公務起因性がない、公務が単なる誘因に過ぎない場合には、公務起因性を否定、本人基準説は採用していない」とし、高裁の判決は最高裁判決に相反しているので、取り消しを免れない」と述べていました。要するに、高裁の判決は最高裁判例にないから取り消せ、と言っていたのです。
 尾崎さんの弁護団は、詳細に最高裁判例を調べ、基金の主張を批判してきましたが、基金の上告棄却によって、まさに最高裁が「平均人基準説」を取っていないことが、最高裁によって示されたと言ってもいいのではないでしょうか。


 尾崎裁判のたたかいのはじめには、率直に言って、許せないからたたかうが、裁判で勝つことができるだろうか、という思いがあったのも事実だと思います。尾崎さん所属の組合や学校からの支援もなく、まして基金の壁の厚さははじめから知らされていましたから。その中で、最高裁勝利まで至ることができたのは、冒頭で記した多くのみなさんのねばり強いたたかいがあり、また運動を広げながら学んでいくことができたからだろうと思います。
 静岡地裁不当判決にはがっかりしました。やっぱりだめか、という思いも正直ありました。ところが、地元小笠の同僚から「えっ、あれで公務災害にならなかったの。」という驚きの声が聞こえてきました。表だっては支援できない人も、共感と関心を持って見ているのだということに確信を得ました。
 この9年間で、全国の教員の精神疾患罹患が急増し減ることがないという事実を見てきました。実際身近な学校職場でも、他人事ではありません。何とかしなくてはという思いは、日に日に増していきます。このことも私たちの背中を押してくれました。
 ただ、画期的な判決が確定したからと言って、その内容を実際に職場で「確定」させるのは、私たちのこれからのたたかいであることも肝に銘じたいと思っています。

 最後に、この勝利のうらには、当初からこのたたかいの先頭に立ち、支援する会の事務局で対策会議、署名運動、ニュース発行、学習会の開催、支援要請等々事実上の中心として活躍し、この4月19日に亡くなられた齋藤達雄前全教静岡執行委員長という大きな存在があったことも付け加えさせてください。

 まじめで、笑顔が素敵だった尾崎善子さんのご冥福を改めて祈りつつ、ご支援への感謝と報告とさせていただきます。

 2009年10月28日
尾崎善子先生の公務災害認定を支援する会