給特法が国会で審議されていたころ、私たちの先輩が語っていたこと

1971年、給特法が国会で審議されていたころ、

私たちの先輩が語っていたこと

 給特法案が国会で審議されていた1971年、参議院参考人の一人として、私たちの先輩、静岡市職員組合(市教組)の中口武彦さんが、出席しました。

発言の一部を、議事録から引用します。今にもつながる内容です。

 (中口武彦さんは、残念ながら、2014年3月、83歳でご逝去されました。)

 尚、この時の他の参考人や国会議員の発言は、下記で検索すると、ご覧になれます。

  太字+下線は引用者が付けました。

 

第65回国会 参議院 文教委員会 第16号 昭和46年5月18日 1971年

  

本日の会議に付した案件                                                                                                  

○高等学校の定時制教育及び通信教育振興法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)

○国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法案(内閣提出、衆議院送付)

 略                                 

中口武彦

参考人(中口武彦君) 私は静岡市職員組合の書記長であります。しかし、いわゆる非専従の組合役員でございます。本日の法案に対する見解は、先ほどの槇枝参考人(引用者注;日本教職員組合書記長槇枝 元文さん)の意見におおむね賛成でありますけれども、きょうは組合役員としてというよりも、現在小学校四年生を担当している現場の教師、また現に最高裁判所で超過勤務手当請求の訴訟をやっております原告の一人として、この法律案に対する意見を述べたいと思います。

 

 ただいま私は、超勤訴訟の原告の一人であるということを申し上げましたけれども、超勤の事実を認め、労働基準法に照らして超勤手当を支払えと、こういう高等裁判所の判決に服さないで、最高裁判所に上告している静岡市及び静岡市教育委員会は、上訴権を乱用しているものではないか、かように私は考えるのであります。そればかりか、この訴訟を提訴している者に対して請求取り下げを執拗に校長などを通して繰り返されている、こういう不法なこともあるわけでございます。ふだん法を守れと言いながら、いたずらに裁判を長びかせている、こういう市あるいは市教育委員会の態度にも私どもは大きな不信を持つものである。すみやかに判決に服して手当を支払い、超勤手当制度が確立されるように努力していただきたい、こういうように望む次第であります。

 

 冒頭に私はこのことを申し上げて、次に職場の実態を申し上げながら意見を述べたいと思います。現在静岡県では、私どもが「変形八時間」と称している勤務時間についての規則が施行されています。これは労働基準法に照らして当を得ていないと私は考えておりますけれども、この規則自体には平均して週四十四時間をこえてはならないということになっています。しかし、現場では職員会議とか運営委員会などが勤務時間を超過して続けられる、こういう事例がたくさんあります。また、先ほどから各参考人も申されておりますように、また文部省の調査でも明らかにされておりますように、この四十四時間という勤務時間をはるかにこえた勤務の態様がわれわれの実態であるということはすでに明らかだと思います。ところで、つい最近も静岡市内のある学校で運営委員会が夜中の一時まで行なわれたということを耳にしています。この学校では、この四月に着任したばかりの教師が、一年では出られないかしら、こう言って、もう来年の三月の人事異動期のことを口にしているということを聞いたのであります。このように、職場の実態は勤務時間の規制が空文化してきているということではありますけれども、しかし、やはり労働基準法がわれわれの勤務に適用されている、こういうことで大方の職場では勤務時間で諸会合が終わる、あるいは延びた場合には、いわゆる振りかえが行なわれるということでありますけれども、そうでない職場が先ほど申し上げたようにふえてきているということでございます。それだけではありません。今年度開かれるある学校の全国研究大会、これに協力するという名目で図工主任者会議が各学校の図工主任により土曜日の午後自主図工主任者会ということで持たれたりしています。やる時間がないのでそれを土曜日の午後やる。しかし、勤務時間についての拘束があるので、自主的という名前を冠してこのように行なわれているということであります。現在でもこういう状態ですので、この法案が実施されたら一体どうなるのか、このように不安を持つのは私一人ではないと思います

 

 全国的な傾向と同じく、静岡県でも年々婦人教師の比率が高まっています。私の勤務する学校でも例外ではありません。婦人教師の多くは仕事に忙殺されながらも職場と家庭を両立させながら教育の仕事に耐えています。ところが最近、五時や六時で騒いでいてどうする、いまに教特法が通って四%が出れば終日公務になるのだ、こういう校長もあらわれた。この法案が通ったらいよいよやり切れないということで、婦人教師の不安が高まっているということも私は耳にしているところです。休憩休息はもはや職員室の壁にはられている日課表の上だけ、こう言っても決して過言ではないと思います。文部省が一号俸だか二号俸だか上げるかわりに労基法から除外すると言い出したけれども、そんなことでこれ以上忙しくされたんじゃかなわぬね、金はほしいけれどもこういうことではやめてもらいたいなあ、これは去年の九月三十日に私が出勤して更衣室で会った同僚のことばです。

 

 私は以上のような職場の状態の中で、労基法適用除外するというこの法案の中から、これらの教師の切実な声、心配が杞憂であるという根拠を見出すことはできません。実は私も先週の木曜日と金曜日に二日間にわたって学年研修というのでおそくなりました。一日目の学年研修は学校全体として企画されたことですが、二日目のそれと、それから時間をこえた部分につきましては私どもが自主的に行なったものに違いありません。教育の効果をあげるというときに、私たちは学年内でそれぞれ相互に学級の実態を出し合いながら、その上で指導の方法を検討する、こういう仕事、こういう時間を重視しなければならないと考えています。しかしいま申しましたように、こういう仕事をするということは、どうしても現在の私どもの勤務の状況の中では時間をこしてしまうということがあります。これだけではありません。教材研究とか、成績物の処理、採点など自分の学級の仕事を考えますと、やらなければならないことはまだまだたくさんあるわけです。文部省でさえも一時間の授業に最低一時間の準備の時間が必要だとこう言っております。私や同僚のごく狭い経験、その話の中からも一時間の準備ではきわめて不十分な授業しかできない、こういうのが実感であり、その時間がとれないためにうちへ持ち帰ってやらなければならないということが毎日のような私ども教師の実態であります。

 

 以上のように、教師一人一人の自発的で自主的な勤務と努力の中で今日までの教育がささえられてきたと私は考えています。さきに述べた学年研修会や図工主任者会などというものは、それでも超過勤務として明確に測定できると思います。しかし、ただいま述べたようなことは、教育という営みにとって打ち消すことのできない重大な事実ですけれども、これを校長その他だれもが容易に確認できるということにはなかなかなりません。私たちは昭和三十八年に超勤の訴訟を起こしたわけでありますけれども、そのときの職場の中の討論でも、いわゆる職員会議とか運営委員会とか修学旅行とか、こういう学校全体できわめてはっきりしている行事や会合、それだけでなくて実際にうちに持ち帰ってやらなくちゃならない、あるいは子供の親からいろいろ相談を受ければその相談を受けなければならないというようなことがたくさんあるということも出されています。しかし、現在の法の中で、私どもは職員会議とか遠足とか修学旅行とかこういう会合や行事、だれの目にも明らかになっているこの事実だけをまず超勤訴訟という形で皆さんに訴えようではないか、そして実際に私どもがそれぞれ家庭などでやっている仕事については、後日解決の方法をみんなで探ろうではないかということでやってまいりました。このように私どもの仕事は明確に測定できるものとできにくいものとあると思うのです。これが教師の勤務の特殊性と申しますか、実態であろうと思います。今回の政府案は残念ながらこの点を無視していると申しますか、混合していると申しますか、そのように私どもは考えざるを得ません。私どもが日教組として政府案に反対し、衆院段階で社会、公明、共産三党の共同修正案という形で出されたこの法案に対する修正案の実現を望んでいるゆえんであります。

 

 そろそろ私は発言を終わりたいと思いますけれども、最後に、私はあの勤評闘争のころを思い出して一言つけ加えたいと思います。当時勤評を実施する理由の一つとして、一般官公庁、民間を問わず勤評をやっているのに、同じ労働者である教師だけがひとり例外ではあり得ないと言われておりました。また数年前までは超勤手当を支給するという方向に進んでいたと思います。それが今日これまでの経過とは逆に、教育の特殊性という名のもとに労働者としての側面を全く否定されているのじゃないかということを申し上げまして、私の発言を終わりたいと思います。