「人材」育成でなく、すべての子どもたちを大切に   中教審答申に対して 全教が談話

【全教談話】

国や財界の求める「人材」育成でなく、すべての子どもたちが大切にされる教育を

                    ~中央教育審議会答申について~

 

                          2021年1月27日

                          全日本教職員組合

                         書記長 檀原毅也

 

 中央教育審議会は、文科省の諮問「新しい時代の初等中等教育の在り方について」を受け、2021年1月26日、答申

「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~」(以下、答申)

を発表しました。

 

1、国や財界の求める「人材」育成でなく、競争的な制度をあらため、

 貧困と格差拡大を是正し、子どもたちを包括的に保護する施策を

 

 今回の答申は、経産省や国・財界が、「Society5.0の実現に向けた改革」として、国や財界の求める「人材」育成と教育の市場化をねらい、AIやビッグデータなどを活用した「個別最適化された学び」や「教育のICT化」などの推進を求めるもとで、文科省が「Society5.0に向けた人材育成」を打ち出したことを受け諮問されたものです。

もとより、教育の目的は「平和で民主的な国家及び社会の形成者」としての「人格の完成」(教育基本法第1条)であり、決して国や財界の示すSociety5.0など特定の社会像に貢献する「人材」を育成することではありません。

国の役割は、子どもたちの豊かな成長・発達を保障するために、その実態をふまえ、必要な条件整備をすすめることです。

 

 そのもとでも、答申は、「今日の学校教育が直面している課題」として、子どもの貧困や生徒指導上の課題を指摘するとともに、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大を通じて再認識された学校の役割」として、学校が、全人的な発達・成長を保障する役割や、人と安全・安心につながることができる居場所・セーフティネットとして福祉的な役割をも担っていることを再確認したことは重要です。

 

 しかし、2019年国連子どもの権利委員会の日本政府への勧告が「あまりにも競争的な制度を含むストレスフルな学校環境から子どもを解放すること」などと指摘した競争主義的な教育制度や「社会の競争的な性格」が、生徒指導上の課題の増加や子どもたちが自己肯定感を持てないことの要因となっている実態は直視されているとは言えません。

国学力テストに代表される競争主義的な施策こそあらため、子どもの実態を直視し、貧困と格差の拡大を是正し、子どもたちを包括的に保護する施策を拡充することが必要です。

 

2.「個別最適な学び」など、学びのあり方を現場に押しつけるべきではない

 

 答申は、「実現すべき、『令和の日本型学校教育の姿』」として、改訂学習指導要領の「着実な実施」をめざし「資質・能力」を育成するために、「個別最適な学びと、協働的な学びを(略)一体的に充実」するとしています。

 

 しかし、「個別最適な学び」を強調することは、競争的な社会や教育制度のもとで子どもたちをいっそう個別に競わせ、「孤立した学び」に陥ることが危惧されます。さらに、AIやICT活用の推進により、現実の子どもたちの実態から出発した多様で柔軟な授業づくりが困難となる危険性があります。

加えて、「指導の個別化」として「粘り強く取り組む態度」の育成を強調することで、表面的な「態度」を取り繕うことや、子どもたちの内面を評価することにつながる恐れもあります。

 

 一方、答申は、「同じ空間で時間をともにすることで,お互いの感性や考え方等に触れ刺激し合うこと」などを強調しています。新型コロナ感染拡大による休校期間をふまえ、子ども同士が関わり合い共同で学び合うことが、全人格的な成長・発達に重要であることが再確認されたとも言えます。

 

 もとより、学びのあり方や「学力とは何か」などの探求は、広く現場教職員や関係者の専門性や実践を踏まえた自由な論議によっておこなわれるべきです。文科省の諮問機関としての中教審論議のみによってまとめ、その考え方を現場に押しつけるべきではありません。

 

3.「教育のICT化」による公教育の市場化の危険

  教育の画一化を防ぐこと、

  格差の生じない条件整備が必要

 

 答申は、「学校教育の基盤的なツールとして,ICTは必要不可欠」と位置づけ、すべての分野においてのICT化をすすめることを強調しています。

しかし、教育のICT化が子どもの成長・発達や教育・生活に及ぼす影響・課題についてあきらかにされていません。教育現場において、何のために、どのようにICTを活用するのかが不明なまま、「Society5.0時代にふさわしい学校の実現」としてGIGAスクール構想などがいっきに加速され、ICT活用を自己目的化し、「とにかくICT活用を」と、学校と家庭に大きな混乱をもたらす危険性があります。

ICTの活用が、学ぶための「ツール」としての可能性を持つとしても、現場での自主的な実践を通じて、どのように活用すべきかをあきらかにすることが必要です。

 

 答申が、学習履歴などの「教育データの蓄積・分析・利活用」、「学校健康診断の電子化と生涯にわたる健康の保持増進への活用」をすすめることは、公教育の場から営利目的の民間産業に歯止めなく個人情報を預けることにつながります。

個人情報の流出など、重大な問題が懸念されます。

また、デジタル教科書などの既成のデジタル教材の活用を推進することは、授業や指導方法が画一化されるなど、子どもの実態をふまえた教員の自主的創造的な教育実践を阻害する危険性があります。

 

 答申は、ICT環境の整備は、「教師を支援するツール」として活用するために行うとしています。

しかし現時点では、「ツール」どころか、器具の不具合や通信環境の脆弱さ、使用法の複雑さなどによって、教職員の負担が増大しています。

さらに、「ICTの人材確保」や「企業との連携」、教育行政への「意思決定を伴う立場への配置」の促進をおこなうことは、民間産業の参入をすすめ、公教育の市場化を加速させることになります。

ICT環境の整備は、現場教職員の自主性と専門性にもとづき有効に活用できるよう、技術的な側面に絞って行われるべきです。

1人1台端末の配備がすすめられていますが、機器の更新や修繕、必要なソフト購入などの経費が国から保障されておらず、多くの地方自治体から持続した運用についての危惧が表明されています。

地域間格差による格差が生じないよう地方自治体への十分な予算措置が必要です。

 

4.さらに中学校・高校でも35人学級を

「20人学級」を展望して少人数学級の実現を

 

 答申は、多くの父母・保護者、教育関係者、市民の願いである少人数学級の実現について、

「少人数によるきめ細やかな指導体制」の検討をすすめ「教師の人材確保を含め(略)計画的な整備を図るべき」との記述に留まっています。

しかし、審議やパブリックコメントにおいて、多くの委員や教育関係団体から少人数学級の実現を求める意見が表明されました。この間、多くに父母・保護者、教職員、研究者、市民などから少人数学級を求める声が出され、様々なとりくみが展開されてきた反映です。今後、中学校や高等学校においても35人学級を実施するとともに、「20人学級」を展望し、教職員定数を抜本的に改善して正規の教職員を増やし、ゆきとどいた教育を保障する少人数学級の実現が求められます。

 

 また、教職員の負担をますます増加させる方向ではなく、

長時間過密労働を解消するために必要な施策こそ検討すべきです。

 

 全教は、憲法子どもの権利条約にもとづき、すべての子どもの成長と発達を保障する教育の実現をめざし、「競争と管理」を基調とした教育政策から、子どもたちが大切にされる教育政策への抜本的な転換をめざし奮闘する決意です。

 

                      以上

 

 既成のこととして(学校ではありがちな、上で決まったことだから)、割り切ったり、諦めたりせず、

論議を巻き起こしませんか?

例えば、ICT環境・・・

既に、現場には、コロナ禍・二次補正によって、1人1台のタブレット端末が届いています。でも、十分な準備ができていません。ことわざでは、これを泥縄というのではないでしょうか。

アナライザー教室(←覚えていますか?)、パソコン教室(老朽化校舎に、突然エアコン、カーペット、靴を脱いで上がる床のある教室ができ、リースとはいえ、パソコンが40台・・・(-_-;))、そしてこれ?

もしその費用が予算として学校に来たら、何に使おうとするでしょうか?