『1966年及び1997年の教員に関する勧告不遵守に係る教員団体からの申し立てについての中間報告(インテリムレポート)』 CEART勧告

 ILO・ユネスコ「教員の地位勧告」の適用を監視・促進する機構である「共同専門家委員会」(CEART)が、2008年4月末に行った来日調査の調査報告書と、実情調査を踏まえた勧告を含む中間報告書を10月29日に公表しました。
 今回のCEART勧告は、文科省教育委員会から主張・反論を聴取した上で、これまでの勧告内容を変更しなかっただけでなく、『教員の地位勧告』の遵守をこれまで以上に力強く文科省教育委員会に勧告しており、私たちの期待に応える画期的な内容になっています。

CEART勧告その423〜30項目
<2008年11月 全日本教職員組合(全教)訳)>

協議と交渉
23.最初の申し立てで提起された協議と交渉(社会的対話)の問題は、当該雇用当局と教員を代表する教員団体との間に適切な協議あるいは交渉が不足しているというものであった。共同専門家委員会は2006年報告で、都道府県レベルでいくらかのささやかな前進があったものの、 2002年に初めて指摘された問題をめぐって、雇用当局との間で行われた対話はなお限定的であったという全教の主張に留意した。大阪に本部があるなかまユニオン学校教職員支部大阪府の新しい評価制度導入に関する適切な対話が不足していたと主張した。2006年報告は同様に、全教との間でしかるべき問題に ついての対話は行われており、さらに共同専門家委員会の2005年中間報告とこれらの問題に対する文科省の立場に関する情報を、都道府県教委へ提供しているという政府(国及び県当局を代表した文科省)の見解も検討した。同時に政府は、教員の指導力不足と業績評価の問題は、本質的に地方当局の管理事項であり、実際に新しく提案された基準についての協議は広く行われているものの、それらの問題について教委が教員団体(労組)と対話をする義務はないという以前の主張をくり返した。上述のように、政府は、日本の法律はこれらの問題を、教員団体との交渉を除外する管理運営事項の定義の範疇に入るものと位置づけていると一貫して主張してきた。

24.調査団報告を検討するにあたり、共同専門家委員会は、1966年勧告が教育政策決定において権限をもつ当局と教員団体の間で問題の性質に応じて行われる協議や交渉が重要であり、それは教育制度全体の機能に積極的に貢献するとくり返し述べていることを想起する。教員団体のこのような役割は教育政策によって異なるかもしれないが、1966年勧告は「学校の組織、教育事業における新しい発展」などに関する協議を明らかに求めている。共同専門家委員会は、日本政府代表と教員団体からのオブザーバーが参加してパリで開催された教員の地位に関する特別政府間会議が、1966年10月5日に満場一致で採択した 1966年勧告の背景にある原則は、そのような協議こそが改革の成功に不可欠であるというものであったと理解している。

25.共同専門家委員会は、調査団のさまざまな所見、特に日本の多くの当事者間にもたれている認識、すなわち協議(consultation)と交渉 (negotiation)の概念(「交渉」は交渉の結果としての協定上の合意(a bargained agreement)につながり、「協議」はより流動的で必ずしも決定に至るものではない)は必ずしも質的に異なるものではないという認識を注意深く検討した。共同専門家委員会は、このことは日本の当事者が簡単な話し合いからより具体的な総意(consensus)づくりあるいは協定締結に至るまでの、いずれかの段階において、その性質を断定的に区別することなく、相互交渉を行っていることを意味するのではないかと考える。しかし、調査団がいみじくも指摘しているように、1966年勧告自体はこの区別をしている。さらに、共同専門家委員会は、2005年の中間報告ですでに勧告しているように、協議は「誠実に行われる継続的な話し合い」でなくてはならないと理解している。なぜなら勧告は、協議の過程から総意や協定が生じるかどうかに関わりなく、当事者は「協 調の精神でその過程に臨むもの」としているからである。

26.このような検討に照らして、共同専門家委員会は政府(主として文科省)、そして都道府県教委と教員団体との間の協議過程はせいぜい形式的なものにとどまっていることを確認する。調査団の所見にもとづけば、協議の過程は、分権化された教育制度について予測できるように、都道府県ごとにある程度異なっている。一部の事例では、手続きは制度的といよりは個人的なつながりに依拠しており、教員団体と交換する情報量も異なっている。しかし一般的には、雇用当局は、しばしば、自分の役割を、すべての教育関係者に開かれた公開の意見聴取という大枠のもとで、可能な場合には意見や質問に応対することにとどまるものと考え、教員団体との関係をより緊密にして、対話から良い結果を生み出そうとするところまで拡大して考えてはいなかった。国及び都道府県レベルの教育当局は、提案されている政策やすでに下された決定が協議の結果変更されるか否かに関わらず、教員団体の意見を聞くだけで十分であると考えている。雇用当局の側には、教員団体の意見を踏まえて、自分たちが教員評価の政策を変更すべきだという考えはほとんどない。しかしながら、1966年勧告は、単なる開かれたあるいは教員の意見を聞くだけに限られる教員団体との会談、それより多くのものを内容とする協議過程を要求している。

27.「指導力不足」と判定される教員を対象とする評価制度を、都道府県教育委がより公平に運用することを助けるために文科省が作成したガイドラインは、 それが47都道府県における制度運用の一貫性を強化するという意味で、教員評価制度の重要な前進である。しかし一方で、協議と交渉に関する1966年勧告の規定が、このガイドラインの開発と適用においても考慮されたという証拠はほとんどない。

28.現在までに共同専門家委員会と調査団に提出された証拠資料は、社会的対話の過程が日本の公務員法制とその解釈によって限定されていることを示してい る。この法律上の障壁と入手した証拠資料を考慮して、共同専門家委員会は、地方教委が教員評価の政策、基準、手続きについて交渉しなかっただけではなく、 1966年勧告がこの問題について想定しているように協調の精神をもって教員団体との協議に臨むという義務は、明らかに達成されていないことに留意する。 このことは当該評価制度が十分な指導力のない教員を判定するものであるにせよ、あるいはより一般的な業績評価制度の一環であるにせよ、妥当する。共同専門家委員会は、すでに以前にも確認したように、このように協議を怠ることは、1966年勧告の文言にも精神にも反するものであると考える。

29.共同専門家委員会は、「教育当局と教員団体との協議や意見交換のための確立された機構」が存在する証拠資料を調査団が発見しなかったことに留意する。協議が行われていたとしても、制度的形式によるものであることはまれである。確立された協議機構が一般に欠けていることは、当事者間の著しい誤解をもたらし、共同専門家委員会の検討に付されている本件のこれまでの全経過をつうじて、雇用当局と教員団体とがしばしば正反対の意見をもっていたことの説明にもなる。当事者は社会的対話の過程を相互に期待していないので、実際に行われた話し合いの結果について、彼らの見解が分かれるのも驚くべきことではなかっ た。

30.教員の給与その他の勤務条件に影響する業績評価制度の結果は、明らかに交渉の対象とされる問題に含まれるにも関わらず、共同専門家委員会は、一方における教員団体との協議の範疇外の管理事項とみなされる問題や、他方における1966年勧告にしたがえば交渉の対象となりえる勤務条件の問題について、当事者間に継続して著しい意見の隔たりがあることに留意する。雇用当局は調査団に対して公務員法の存在に言及したが、他の分野においても公務労働においてこの法律適用が支持されている事例や証拠は示さなかった。教員団体は、日本の法律では、雇用者には文書による団体協定(collective agreements)をする交渉権限がないことを認めていたものの、このような限定を受け入れていることを示さなかった。共同専門家委員会は教員の給与や労働条件についての交渉に適用される1966年勧告の関連条項は、ILOの団体交渉の諸原則に基づくものであることに留意し、この点に関して権限のある ILO機関の意見に従うものである。 
次の報告を特に参照:1948年結社の自由及び団結権の保護に関する条約(87号)と、1949年の団結権及び 団体交渉権についての原則の適用に関する条約(98号)とについて、2008年に公表されたILO条約勧告適用専門家委員会の個別報告。ILO理事会結社 の自由委員会の事案2177、2183の350回報告、340回報告と事案2114の328回報告。