空襲のこと、戦争があったことを忘れない!

この時期、浜松、静岡、清水(現 静岡市清水区)、磐田などに空襲があったことを

静岡大空襲については、このサイト内にも掲載しています。
「日本本土空襲」で、ウイキペディアなど参照。

浜松大空襲
 地方都市で最も空襲の多かったと言われる浜松
 特に6月18日の大空襲は、投下爆弾量、被害者数など多かった。


静岡大空襲
 6月19日深夜から20日未明にかけての大空襲。


清水(現在 静岡市清水区)の空襲
 7月7日の空襲は、大きかったと言われます。


 浜松、清水は、沖合から艦砲射撃もされて、大被害を受けたようです。

 
 静岡県は、軍需工場があったこともありますが、富士山、浜名湖などを目印にして、アメリカ軍のB−29が飛来していたこともあって、
空襲の多かったことが知られています。

 例えば、磐田市立磐田北小学校(旧 見附国民学校 磐田市見付)では、68年前の空襲被害を忘れないと、今でも慰霊祭や平和学習を行っています。
同校HP参照。
 1945年5月19日に、下校途中の子どもたち28人と、引率の若い女性教員が1発の爆弾で命を落としました。


 東京、京浜(富士山を目印に飛来)や名古屋、中京(浜名湖を目印に飛来)の大都市を空襲したアメリカ軍爆撃機B−29は、残った爆弾を落としてから帰還せよと言われていたからです。爆弾を残したまま帰還すると、着陸の時に危ないからでしょうか。あるいは、帰還のための燃料確保のためか。
 「爆弾のゴミ捨て場」という言い方で指示されたようです。いくら戦争とはいえ、ひどい表現ですね。

 戦争を知らない世代が多くなりましたが、みんなで学びたいですね。また、知っている世代の方が、少しずつ語り始めたという話も聞きます。
 子どもたちのゲームに、残虐なものがけっこう出回っています。一定のセーブをかけることも必要かなと思っています。
 教えこむのでなく、事実を事実として知らせること、知らされていないことが多いことを、もっと伝えたい!


静岡市平和のための戦争展は、今年2012年は、8月10日(金)から12日(日)まで、市民ギャラリー(旧市役所庁舎)で開催します。
戦争を知っている方、知りたい方、是非誘ってください。