被災58年 2012年3・1ビキニデー

みんなで参加しよう!

2012年3月1日(木)

13時00分から15時30分まで

焼津市文化センター 静岡県焼津市三ケ名1550番地

 JR焼津駅南口4番乗り場から焼津市自主運行バス「さつき」で約5分、
 「文化センター前」で下車、徒歩1分。
駐車場もあります。

・ 焼津市長あいさつ
・ 安斎育郎さん報告(わかりやすいお話ですよ。きっと!)
・ 佐野加奈さんのフルート演奏
・ 大石又七さん  ビキニ被災を語る
   (第5福竜丸乗組員)
・ 高知県幡多ゼミナールからの報告
・ リレートーク

当日午前中 墓参行進、墓前祭

9時00分焼津駅南口前〜墓参行進
 10時30分弘徳院 墓前祭

3・1ビキニデー

 核兵器のない、放射能汚染の悲劇を繰り返さない世界の実現を誓い合う日、それが58度目のビキニデーです。
 1954年3月1日未明、アメリカはビキニ環礁で、水爆実験を行いました。
 焼津を母港とするまぐろ漁船『第5福竜丸』(現在、東京江東区夢の島公園の中にある、『都立第5福竜丸展示館』で展示されています。)の乗組員もこの時全員が被爆(被曝)して、その年の9月23日、無線長の久保山愛吉さんが、「原水爆の犠牲者は私を最後に」と言い残して亡くなりました。
 この事件は、広島・長崎に続いて3度核兵器の被害を受けた日本国民にとって、原水爆禁止の全国的運動をつくり出す大きな契機となりました。(当時、広島や長崎の被害について、アメリカや日本政府によって事実上隠されていました。犠牲者の数が初めて発表されたのは1952年です。放射線被害についても、ほとんどがアメリカによって調査され、日本では明らかにされていません。はじめはABCCというアメリカの研究機関が、後に今の放射線影響研究所によって研究されています。しかしこの研究所は、「日米共同研究機関」であり、日本の独自の研究ができないようになっています。福島原発事故による放射線被害について「直ちに健康に影響はない」「いつかはあるってこと?」などと混乱している状況を見ればわかります。)
 主婦や業者、市民の間に広がった「原水爆禁止」の署名は、1955年夏までには、当時の有権者数の半数を超える3200万筆に達し、8月の第1回原水爆禁止世界大会の開催、9月の原水爆禁止日本協議会原水協)の結成など、「核兵器全面禁止」の要求で世界をリードする原水爆禁止運動を誕生させました。
 2010年5月、世界189の国々が参加する核不拡散条約(NPT)再検討会議は、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを一致して決めました。
 潘基文国連事務総長も、70億人に達した地球人口が平和で安全に暮らせるよう、核兵器のない世界を実現使用とよびかけています。
 この声をさらに広げ、唯一の被爆国である日本がアメリカの「核の傘」から離脱して、核兵器全面禁止の先頭に立つよう行動しましょう。
 また、福島原発事故を背負った国として、原発事故被災者の救援と原発依存から抜け出し自然エネルギーへの転換を求める運動と連携しましょう。
(ほとんど ビキニデー実行委員会チラシより)