小児科医・山中さんの講演から

□ いつもいつも同じ事故が繰り返される。

 文科省も通知を出しているが、また起こる。プールの吸排水口引き込まれ事故も、防火シャッターの事故も。しかし、いつも「親の不注意」「目を離したからだ」などで済まされてきた。
□ その点では、六本木ヒルズ回転ドアの事故は、一つの転換点だった。今までなら「親の不注意」「なぜ手をつないでいなかった!」と言われ、何の手だてもうたれなかった。しかし回転ドア事故では、安全のはずのビルで、しかも過去にも同様な事故があったことが指摘され、工学的にも回転ドアの欠陥が指摘された。「親の責任」でなく、大きな社会問題となった。

□ 「子どもの事故は、予防できる」…これが基本的な考え方だ。(但し、20数年前からの欧米の常識で、日本ではまだまだ)

 ある調査では、1歳から19歳の日本の子どもで、事故の第1位は、「不慮の事故」である。これは、先進15カ国の内、ワースト2に当たる。
 1000人の保護者に聞いた調査では、のべ800人近くが3歳までに、「落ちた」「転んだ」「やけど」「誤飲」などで負傷したと答えている。つまり、子どもの生命を脅かす最大の原因は、事故である。
 欧米では、それはAccident(予測できない事故)ではなくInjury(予防可能な事故)と言われている。残り湯をためた浴槽に落ちる事故が後を絶たないのは、いい例。落ちたり、落ちた後の救急処置についてはよく言われる。しかし、歩き始めた子は、風呂場のドアノブに届くことができて危ないこと、浴槽に水をためておくのは危ないことなどは言われない。危ないことは過去の例でわかっているのに。
 学校でも事故のパターンは決まっている。
□ しかし、日本では救急処置やその後の対応については、講習もあり治療も確立しているが、小児科医でさえ、予防するという観点で活動している人はほとんどいない。その意識は、学校、保健所、企業、マスコミなども同じ。
□ 予防に金をかけていない。しかし、一旦死亡事故が起きると、そのために責任をせめられ、夫婦関係や、親子関係などが崩壊してしまうなどの大きな「損害」につながる。少子化の時代に子どもはますます「社会的財産」になる。育児支援に事故予防を含めるべきだ。現在でも子どもの事故による医療費に莫大な金をかけている。予防にかける方がずっと節約だ。

□ 事故は予防しなければならない。

 親の不注意と責められるが、24時間目を離さないなんて無理なことだ。また、公園での遊具の事故、例えば滑り台から落ちるなどの事故は、目の前で起きている事が多い。
 車のチャイルドシートの例では、「気を引き締めて運転を」とか、「制限速度を守れ」とか言うが、それで事故は防げない。でも、チャイルドシートの着用率は低い。□ 欧米では、どの高さから落ちたら、どの程度の事故になるかを分析して対応している。日本でも、国土交通省が安全基準のガイドラインを出している。頻繁に起こった箱ブランコの事故、少なくとも今までに23人の子どもが死んでいる。底部の隙間が20㎝しかないから、当然はさまれたら大変とわかっているのに、まだ全面撤去になっていない。

□ 事故の予防には、科学的な分析が必要だ。

 少なくとも、病院にかかるような事故で①重症度が高い事故、②重症になる頻度が高い事故、③重症事故が増加している、④具体的に解決方法がある、そういう場合は、予防の対策を立てるべきだ。
□ そして、その対策に対してのデータの収集と評価をすべき。
 ①対策によって発生数や率が減少したか、②通院日数や入院日数などから重症度が軽減したか、などで評価する必要がある。
 アメリカでは、自転車事故で頭部負傷などで受診する人が多かった。そこでヘルメット着用を呼びかけた。その後調査したところ、60〜80%以上の数値で受診の減少が見られた。そこでシアトルではヘルメット着用を義務づけるようになった。
 また火傷の事故が多く、特に蛇口での火傷が多かった。調べたところ給湯温度だ60度だった。すぐに皮膚が赤くなる温度なので、蛇口から出る湯温を50度に下げた。すると火傷の受診が減った。
 日本ではそのような、データの収集と評価の流れがない。
□ 日本外来小児科学会では、政府へ①欧米では20年前からやっている事故サーベイランス(疾患監視システム・発生が報告され、分析され、その結果がフィードバックされること)事業の推進②事故予防の研究部門設置の2点を要求したが、政府・厚生労働省には担当部署がないそうだ。
 学校災害に関係する「日本スポーツ振興センター」は、事故の数は出しているが、それはお金の計算をするためだけのものになっている。
□ 学校に関連した事故による死亡例は、何度でも起きている事故。
 ・プールの吸排水口、サッカーゴールの転倒、箱ブランコの底部、防火シャッターに挟まれたなどである。いずれも何度も起きている。ところが、防火シャッターに挟まれた事故では、新潟県教育庁の課長は「お互いに事故を起こさないよう、緊張感を持ってやっていきましょう。」と、信じられないコメントをしていた。
 学校事故は、最近の数字では、年間1,098,918人負傷(110万人)していて、63,358件起きている。であるのに、「昨日まで起きなかった」→「うちでは起こっていない」→「決して起こってほしくない」→「決して起こってはならない」そしてそれが、いつの間にか→「うちでは起こらない」になってしまっている。

□ 子どもの事故も、労働災害(労災)の基準・水準に

 労働現場で事故が起きると、当人の責任あるなしにかかわらず、安全衛生委員会を開いて原因を調査する。当人の責任よりも、現場の安全衛生体制が問われる。しかも、労基署からは「労災隠しは犯罪です。」と言われる。
 ところが、学校の事故は、データはあっても対応はない。住宅内の事故は、データもないし対応もない。
 「気を付けなくても」「目を離していても」いいようにする。想定内、予測できる。そして親の責任ではなく、社会の責任にする。これらが子どもの事故で求められている。 

□ 事故予防のためのループづくりを

 予防のためのループを、病院、企業、行政などを巻き込んで作らせよう。できたら公的機関の設置を求めよう。
 今、行政などは求めるだけでは動かない。「自分」たちからまず、そのための機関づくりに動こう。
□ 危ない中で遊びながら身体能力を付けてきた、の考えに対して
 昔から子どもは、危ない事をしながら体を作ってきた。安全安全と言っていたら、子どもの体力はつかないのでは、と言われるが、挑戦することができる「リスク」と、死にも至らしめる「ハザード」の違いを考えたい。少々の傷は、「元気だね」と言うが、死ぬ危険まで冒す必要はない。