三宅晶子氏浜松講演会から =概要=

zenshizu2006-06-05

 みんなで集まって反対の意思を示そう!!教育基本法の改悪を許さない三宅晶子氏浜松講演会
 主催:静岡県教育文化研究所・静岡県西部教職員労働組合
  

心のノートが出ました。

教科書よりも立派にみえます。著者名を明らかにすることなく、文部科学省の名の元に出された。2002年から出されたが、100%配布されるもので7億円ほどの費用がかかるものを、すでに作ることを決めていたということは、どういうことでしょうか。そして、配布後に配布調査がなされ、実施調査がされました。まさに強制されている心のノートです。

これはおかしいということで私は運動を始めました。
教育基本法の検討について与党協議会はまったく協議の内容を明らかにしませんでした。

当初、教育基本法の改定案が「教育行政は不当な支配に服することなく」という内容で出されてきて驚かされました。今回は、この「行政」はなくなりましたが、教育基本法改正の意図がわかります。
そして、この基本法の改定の議論が、検討委員に配られた資料も回収されるという徹底した秘密裏に行われたものでした。


私たちは、朝日新聞に意見広告を出しました。この秋までの世論の広がりで廃案にできるかどうかという状況なっています。ここで、カンパのお願いもして運動を広げていきたいと思います。

お配りした法案の対照表をみてください。

憲法はみんなに関わるものだという感じがしますが、教育基本法は子供にかかわるものと考えられがちです。しかし、そうではありません。国民、全体に関わってくるものです。

現行の教育基本法は、「平和」の言葉が前文に3回もでてきます。お国のために命を投げ出すということでなく、ひとりひとりの国民の尊厳をうたっています。始めを憲法ではじまり、終わりも憲法で終わるようになっています。

しかし、改正案では「個」が減っています。そして、「公共の精神」がでてくるのです。「公益の秩序」というものがでてくる。弱者のためにセーフティーネットをかけて守ってきたものが、「自立」自分でがんばんなさいというようになってきました。

サービスを受けたら、本人、親が応分負担しなさい、自己責任が自立の名のもとに入ってきているのが今の状況です。

現在の状況は憲法25条の生存権に、踏み込んで破壊されてきています。年間3万人の自殺があるように、生存そのものが脅かされる状況になっています。所得格差が広がっています。
教育基本法の改正案では、「私」よりも「公」が優先されるようにかかれています。

第1条から、みていきましょう。

個人の価値・自主的精神が削除されました。誰にとって必要な資質なのでしょうか。国家にとって必要な資質となっています。
第2条
法律の役割はなんでしょうか。
国民が国家に約束させるものが法律です。
価値を法律に書き込むことは、法律の逸脱といえます。

今回、民主党教育基本法の改正案を出してきました。
与党案を理解するのが今回の目的です。それがわかれば
民主党案も同様であることがわかります。

「教育は不当な支配に服することなく」をはずせというのが、今回の改正のねらいでした。与党案にには入っていないが、民主党案には、入っているのです。継続審議になって、民主党案が採択されれば、さらに大変なことになります。

目標とか、態度というものは現場では評価の対象となるものです。

新事由主義的な改革

小泉政権のもとで、労働者の階層化が完成してしまいました。若い世代がそこに入っていかざるを得ない状況になっています。
耐震偽装やJR事故などにみられるように、生きる基盤そのものの破壊につながっているのが現在の状況ですが、それが、教育の分野に取り込まれ、教育の機会均等が奪われ、教育の序列化が進んでいます。

エリートは100人にひとりでいい。あとは実直な精神さえあればいいと言っています。

これまでは、教育の機会均等をした後に、進路を選んでもらったが、今回の教育改革は、差別し、選別していくことをはじめから進めていこうとしています。当然、治安が悪くなったり、子供が荒れる状況がうまれてきます。それを、愛国心というかたちで、まとまらせようとしているのです。

愛国心が一番求められる場面が戦争です。

関心・意欲・態度の評価について

学校にいる間のすべてが評価されるので、どうしても学校での生活が抑圧されてしまいます。
新学習指導要領に入ったことから愛国心を評価するところが出てきました。

最初に声をあげたのは、在日2世でした。愛国心の評価がBという評価だったそうです。その方は日本人でないことから「B」の烙印を押された気がしたといいます。
在日の人間が声を上げていくことの怖さがあったそうです。2002年の9月に、在日へのバッシングが広がり、中傷でHPを閉じなけばならなくなったそうです。
愛国心を鼓舞していくと排他的になっていくという例です。

1995年に国旗、国歌法がとおり、東京都では300人が処分されました。口をこじあけてでもうたわせるというのが大げさではなくなりました。指3本入る大きさで口をあけなさいという指導が町田市ではありました。

私は愛国心について一方の考えだけを強制していくというやり方に反対をしているのです。少数者を殺してでも多数を通していくというのが、今のやり方です。これは民主主義的ではありません。

生涯学習の理念

新たな条文がたくさん入っています。3条の生涯教育。 8条の私立学校、10条の家庭。13条の地域で、大きく網をはって、全体的にこの理念が求められるようになっています。


教育の機会均等
「能力に応じる」が「能力に応じた」というように能力主義的になっています。


第2項
能力主義による選別がここで、正当化されています。
第4条
義務教育9年がなくなっています。
義務教育の短縮を考えています。入学年齢の弾力化、飛び級が考えられています。

削除された条文に第5条、男女共学があります。

男女平等をうたった理念でしたが、男女共学のもとで、ジェンダーフリーという言葉がでることで講演中止となった事件が発生しています。
復古的な意味をもっているのでなく、資本の側の論理から、正規雇用を改め、出産、育児の効率の悪さを非正規雇用で、安い労働者として求められているのです。

労働という視点から見るならば、構造的に未賃金労働が作られようとしているのです。

子供が学校へもいけずに労働させられたり、人身売買が日本でも行われてきています。

6条学校教育
子供は教育を受ける権利をもつものだが、教育を受けるものが、義務を負わされるようになっています。実際に授業料が払えなければ退学というかたちが進んできています。

9条教員
教育の力に待つ。その主要な力は教員です。これが切り離されてきています。
現行では「全体の奉仕者として国民全体に責任を負わなければならない」「身分は尊重されなければならない」となっていますが、この部分が改正案では削除されています。


国家の伴奏をしなかったことで職務命令違反で処分されています。そのときに子供の方をみていて、国旗をみていなかったということで処分された例があります。

自衛隊を教員の研修先になっている例があります。国家の使命を果たさない教師は排除するためのしくみをつくろうとしています。

第10条家庭
「教育は不当な支配に服することなく」には国家の介入も含まれています。国家が教育を行っていたことの反省から、戦後の教育改革が行われました。そして、行政は条件整備を行うことが定められたのです。
自由権には国家からの自由と、それを保証するためには、社会権として、国家による自由があります。福祉がそうです。

16条
「教育は不当な支配に服することなく」の後、「この法律、他の法律にしたがって」という改定案があります。これで、教育の中身まで国で行おうとしています。
17条
「政府は」教育振興計画を作成・・・・ここには、ストレートに国策として現場に下ろす中央集権的なしくみをつくっています。

16条、17条によって、国家の教育をすすめ、教職員組合をつぶしていこうというねらいがあります。

なぜ、今、この法案なのか

かつて、日本の戦後の歴史の中で池田ロバートソン会議というものがありました。アメリカから愛国心教育が求められ、教育委員会の公選制、教員の勤務評定、道徳の新設等が進められた時期です。
まさしく、50年後の今、また、それが、一気に行われようとしているのです。
上程されたら終わりではありません。
政府は、これを強行採決したら世論が怖いのです。
民主党が対案を出していますが、さらに悪いものが出てくる可能性があります。
何をやってはいけないのかを知らせていく必要があるのです。

ここにドイツの教科書があります。ナチスの進める戦争に17歳の少年が反対し、逮捕され、殺害された事件を紹介しています。
ドイツのこの教科書のここに抵抗の階段が示されているのがすごいとおもいます。紹介します。
第一の段階として同調しない。
第二の段階として拒否をする。
第三の段階として連行された夫を返せと抗議した。
第四の段階が国家体制の転覆でした。ヒトラーの暗殺を考えました。

今の日本も似た状況があると思います。現在は、2の段階ではないでしょうか。国民のほうが国会議員よりも多いのだから、知らせることで、同調しない人を増やしていくことができます。

考えつづけること

あきらめないこと
怖がらないこと
私たちが多数派ですから。
みなさんのちからで、この法案を破棄しましょう。

心のノート
心のノートを持ってきました。ここに23の鍵があると書かれています。この23の鍵というところに指導用要領の23の項目が入るのです。そして、
心のノートの法定化がされようとしているのです。

道徳が教科として位置付けようとする動きがあります。教科となると評価することになります。学習指導要領をなんで官僚がつくるのかという問題があります。文部科学省が学習指導要領を作っています。大綱的な基準であると最高裁判決があるのです。
かつての修身のようにすべての教科に愛国心のような形がでてくることが懸念されます。

教育基本法が改正されれば、すべての教科書がつくる会の教科書のようなものになっていくことが考えられるのです。

このページを見てください。心のノートによって、「ありがとう」の強制がなされるようにできています。「周りの人すべてにありがとうといえますか」として「はい」を選択させるようになっています。そして次のページが奉仕です。人のためになることを教えられる。次のページは、「社会の役にたとうとする心」を扱い、ボランティアを扱っています。中学校編では、「社会の役にたとうとする心」でアンケートをつかっています。アンケートを使うのは危険です。みんながそうだから、それが真理のように思ってしまう。アンケートのように多数が思っていれば真理となってしまうし、少数意見が消されてしまいます。
 ここでは少数意見を考えていくことはできないのです。
戦時化とすれば、戦争を止めることはできません。全体主義を経験した国家が問われることは、命令であっても、やってよいことなのか、きちんと判断し行動することが大切になるのです。基本的人権が守られることが大切になってくるのです。人権なき心の教育になっています。
国家が命じたものが、他国の人間の基本的人権を侵害するものは、不服従の権利があります。市民的不服従の権利があるのです。これは重要な思想として知られているものです。抵抗の権利が問われるところです。

3条 地域
「住民その他の関係者」とは誰でしょう。子供を監視の対象としていくものになろうとしています。有事の際の訓練が、警察、行政、軍との共同で進められよとしています。