尾崎裁判 〜 静岡県の養護学級の教員であった尾崎善子さんの自殺を公務災害として認めるよう訴えている裁判(東京高裁)〜

最新の訴え 〜冒頭部分〜

尾崎さん側が、新たに東京高裁に提出した主張(『準備書面(4)』2/28)の冒頭部分を紹介します。(※ 一部固有名詞を省いています。)
 はじめに、「基金」とは…
 若干説明しておきます。地方公務員の場合の「労働災害(労災)」は「公務災害」という名で扱われ、その判断をする機関を、「地方公務員災害補償基金」と言います。略して「基金」と言っています。各県・政令市段階に「基金支部」がありその長は首長、つまり基金静岡県支部支部長は静岡県知事です。このあたりにも、一般の「労働基準監督署」と違って、基金のガードはかたいと言われる面が見えるのです。
 さて公務災害を申請すると、先ず基金支部で審査されます。不服があれば、支部審査会で審査されます。さらに基金中央本部、同審査会という手順で審査されます。そこで認められない場合に裁判に訴えるということになります。
 尾崎裁判の場合、基金は端から「公務外災害」(公務災害ではない)にしようという姿勢で臨んでいます。学校現場の過酷な実態を、ことさらに過小評価しようとします。静岡地裁は、基金の主張を鵜呑みにして「公務外」(尾崎さん個人の問題)の判決を出しました。尾崎さんの事を知っている教職員が「えっ、公務災害にならなかったの!?」とびっくりしていたくらいです。
 
**本訴の意義

1 本件被災職員尾崎善子(『準備書面(4)』では「善子」ですが、ここでは引用以外は「尾崎さん」とします。)は、本件公務災害に遭遇するまでは心身共に健康な小学校教諭であった。几帳面で一つのことにとことん取り組むタイプであり、何事にも最後まで根気強くやり抜こうとする強い意志の持ち主であった。
 その尾崎さんが、もともと教諭という職業自体にストレスが多いうえに、さらに困難な養護教育に自発的に取り組み出し、それから僅か2年後に、自己が受け持つクラスの児童やその保護者に対する教育的責任の高さゆえに苦しみ、葛藤し、志半ばにしてうつ病を発症させて自殺に至った。遺族にとって、その無念な心中は察するに余りある。

2 本訴に先立つ審査段階で、基金支部審査会から依頼を受けて鑑定書を提出した医師は、「体験入学での出来事が被災職員の疾病にどの程度影響したか」の問いに対し、「体験入学がなければ、どうだったかと推測すると、おそらく発病はなかったと思われ、その意味では、影響度はかなり大きいと考える。」とする。
一審判決も、「善子は本件体験入学実施の前後にうつ病に罹患していること、前掲の善子の日記やノートの内容及び善子の症状に関する医師の意見をも合わせ考えれば、善子が本件体験入学の実施に伴い強いストレスを感じ、それがうつ病の誘因になったことは否定できない。」とする(判決)。
即ち、本件体験入学によって尾崎さんが受けた強度の精神的負荷がなければ同女のうつ病発症またはその増悪はなかった、従ってまた自殺もなかった、という意味での因果関係(「条件関係」と言ってもよい)は、間違いなく存在するのである。

3 しかるに被控訴人基金は、尾崎さんが「在籍児童をいかに守るべきかという点が考えの中心であり矛先を常に体験児童にむけていたきらいがある」「自分自身の養護教育に対する思いと実際の指導から来る格差に悩んでいた」「環境要因と本人の持っている性格、素因等を比較した場合、本人の性格、素因等の個体的要因が、本件疾病発症のより大きな要因となっている」として本件公務外認定処分を下し、支部審査会も、いともたやすくこれを肯定している。だが、学級運営に責任を持つ以上、何よりもまず在籍児童のことを大切に思い、在籍児童とともに作り上げてきた学級を守ろうとするのは、責任感ある教師として当然のことである。また、教育にかける熱い思いと厳しい現実の格差に悩むことは、教育に熱心な教師であれば、これまた当然のことである。教育に対する熱意、責任感が人一倍大きいことが、むしろ「公務外」とされる理由になるとは、いったいどういうことなのか。
そして原判決も、控訴人が詳細に主張立証した本件体験入学の異常性、それが尾崎さんにもたらした精神的肉体的負荷の大きさを不当に過小評価し、「本件体験入学が・・・、その期間、目的、事前打ち合わせ、実施態様等に照らし、客観的にみて、社会通念上、当該職務担当者にうつ病を発症させるような負荷を与えるものであったと認めることができない本件にあっては、(善子が受けた)ストレスは当該公務それ自体がもたらしたものであるというより、善子が本件体験入学について過剰なまでの拒否反応を抱き、その事態をうまく受け入れてその気持ちを対処できなかったことから生じたものであったというほかない」として、相当因果関係を否定した。
 理屈の付け方は違っていても、公務上の出来事がもたらす外的ストレスが原因(少なくとも1つの原因)であることは間違いなくとも、それが「相対的に有力」な原因ではないとして、ことさら「本人の性格、素因等の個体的要因」を持ち出して救済の道を閉ざす点で、同じである。

4 今、教育の現場では、教育を巡る極めて困難な諸課題を抱えた教師の精神疾患
が増大している。控訴人は、我が子善子はそうした教育現場の実態の中での犠牲者であると考える。高い判断力と専門的知識を有し、多くの者からその存在を喜ばれ、これからも多くの子供たちに幸せと喜びを与え続けることが出来たはずの、社会にとってもかけがえのない一人の命が犠牲になったのである。それだけに、我が子の死を“犬死'”にさせることなく、更なる犠牲者を生み出さないためにも、との思いで本訴を提起し、困難を抱えながらも本件訴訟を遂行してきた。本件公務災害が救済されるか否かは、控訴人及びその家族の問題ではないこと、多くの困難を抱えながら教育現場で悪戦苦闘している我が国の教師全般の「安心して働ける権利」に関わることを声を大にして訴える。