全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)って?

 4月24日(火)に文科省は、全国一斉に小6、中3の子どもに対して、学力テストを行おうとしています。悉皆(全員)調査の意味があるのか?採点・集計・情報管理に、小6では進研ゼミ・チャレンジなどのベネッセ、中3はNTTデータ(旺文社関連企業と連携)が民間委託されているがどうか?法に照らして個人情報の問題が解決されていないのでは?個々の学習状況・生活状況を全員調べる必要があるのか?などの問題が提起されています。
 この件について、遅ればせながらこのブログでも考えていきたいと思います。是非ご意見を寄せてください。
 さて、この学力テストをやるか、やらないかは、市町村判断です。でも、文科省の言うことにイヤとはいえないのが実態です。ところが犬山市は、学力テスト実施を拒否しています。

犬山市はなぜ実施しないのでしょうか?

 それは…
「 ○ 犬山市は、独自の財政支出により、少人数学級や副教本の作成を中心とした様々な教育環境を整備してきた。さらに、教師の内発的な動機づけにより、やる気と責任感を育て、日々の授業実践を積み重ねてきた。全国一律に学力調査を実施して子どもの学力向上を図ろうとする文科省の施策は、これまで積み重ねてきた犬山の教育と大きく異なり、実施にあたって慎重な対応が求められる。犬山の教育改革は、国主導の教育文化に対して、地方の価値観に基づく教育文化を提示するものである。

ゆとり教育はどこに問題があったのか、教育現場で実際にどんなことが起きているのか検証することなく事が進められ、学力低下問題を引き起こした。そして、今度はその対応策として、全国的な学力調査を実施しようとしている。安易な対応策と言わざるを得ない。さらに、この学力調査は、テストでの得点力ではあっても、将来を切り拓く自ら学ぶ力にはほど遠い。この学力調査では、自ら学ぶ力を測る手だての具体化は極めて困難である。点数化による調査や集計は避けられないと思われ、教育現場では、ゆとり教育に逆行するような弊害が心配される。犬山の教育にとって、学力調査から得られる効果よりも、危惧される弊害の方が大きいと考えられる。
ゆとり教育の核心にある学力は、「自ら学ぶ力」である。学力をめぐる議論で、テストの正答率は議論の対象になるが、この学力が俎上に上がることはない。自ら学ぶ力を抜きに学力議論は本来成立しないはずである。授業で自ら学ぶ力を育むには、子どもが授業に主体的に取り組む経験が欠かせない。それを可能にする教育条件が少人数学級である。このことは、少人数学級のもとで豊かな人間関係と豊かな社会を形成し、自ら学ぶ力を育み、人格の形成を図ってきた犬山の教育実践から明白である。
③ 犬山では、全国的な学力調査の実施については、さらに次の点から十分な議論が必要だと考えている。
第1に、犬山で子どもに身につけさせたい基礎的な学力は、決して教え込まれるものではなく、自ら獲得するものと考える。教え込まれた知識は単なる知識でしかなく、自ら獲得した知識は、知恵となり、生きる力を育む。犬山の教師は、少人数での授業づくりが基
礎的な学力を育み、学び合いを通して授業が分かるようになったことに自信と誇りをもっている。こうした自信と誇りに裏づけられた教育実践を通して、基礎的な学力は、子ども自らが獲得していくものであることを実証してきた。
第2に、犬山では、学習指導要領が最低基準であるという国の規制緩和を主体的に受け止め、教師の手づくりによる副教本の作成・活用を図ってきた。そこでは、犬山の歴史、文化、自然などを対象に教材づくりを行い、教育課程を編成し授業実践を積み重ねてきた。
この犬山の教育は、犬山の教育目標に即して総合的に評価すべきであり、全国一斉の学力調査によって評価すべきではない。
第3に、犬山は評価を軽視しているわけではなく、教育活動の中に重要なものとして位置づけている。評価は子どもの成長や教師の指導方法の工夫・改善のため、日々の授業実践を通して行われるべきものである。犬山では、日々の授業の中で確認テストや観察など
による継続的な評価を積み重ね、子どもの自己評価や相互評価をもとに指導方法を見直し、基礎的な学力の定着を図っている。学力調査は、本来子どもの学びや教師の指導方法の工夫改善に役立つものでなければならない。」
  以上「犬山市」、「犬山市教育委員会」と「犬山市小中校長会」が連名でHPに載せている『犬山の教育の重要施策2006』で表明している(問題提起)部分です。

http://www.inuyama-aic.ed.jp/i-manabi.h.p/index.htm