わたしたちをめぐる情勢

「改革を止めるな」で危険な「改革」が進行


9・11衆院選投票日こ自公与党が「圧勝」し、小泉流非常識が大手を振ってま
かり通るようになってきています。先の国会で否決廃案となった法案が、ほんのわずかのの審議の後に通過しています。小選挙区制にょって2/3を超える議席を獲得したことによって投票数が互角であったことは後景に退けられているのです。小選挙区制導入の際に指摘されていたとおり、議会制民主義が崩壌させられようとしています。
 確かに「民間活カが発揮できる、簡素で効率的な小さな政府への改革」とい
自民党の公約が守られています。「改革を進め」ていることも確かです。
しかしその「改革」の中身は、決して公約通りではないことも確かなのです。自
公与党の「改革」の中心であった郵政民営化を見ても「郵便局ネットワークは、かならず維持します」と公約しても、民営化では「郵便局がなくなる可能性はでてくる」と国会で答弁しているのは小泉首相自身です。「税金のムダ使いを元から断つ」の公約も、郵政公杜に税金は使われておらず、10年後郵政公杜なら黒字が民営化では赤字となり税金投入が必要となるなどが国会では明らかとなっているのです。

ウソとはったりの小泉流の危険

 全くのウソが国政選挙で堂々とうたわれ、それが有権者の支持に結びついたのです。これにカを得て、衆院憲法調査特別委強行設置や、「定率減税廃止」や「消費税増税」など公約に反する「大増税計画」を打ち出しています。このような事態を、ナチス台頭や「満州事変」の頃になぞらえて警鐘をい鳴らす人が増えているのも納得のいくことです。
「痛み」は確実に国民にだけ来ており、小泉4年間でますますひどくなっている
のに、その矛先をたくみにウソとはったりで他のところに向けさせるのが小泉流です。公務員攻撃など典型です。

ウソとはったりの小泉流を後押しする者たち

 こんなウソをまかり通らせたのがマスコミです。『報道ステーション』での政党討論の場で、あろうことかキャスターがスポンサーに配慮して、郵政民営化反対論を遮ったことは象徴的でした。「刺客」騒ぎなども利用しながら、国民の利益に背を向け、むしろ「小泉劇場」を有利に演出したといっても過言ではないでしょう。
その裏には(実は堂々と表に出ていたのに、報道されないだけですが)アメリ
と財界の露骨な自公与党支援と圧力がありました。「郵政民営化は、米国ファンドのごちそうになるだけ」(政治評論家森岡氏)と指摘されているように、郵政民営化に向けて日米の緊密な会合があったことが明らかになっています。

とりわけ露骨な財界

財界においては、「政党通信簿」の圧力や企業献金の表だった復活と政治への注
文、そして経済財政諮間会議への経団連会長自らの参加をはじめとする政府審議会への積極的進出など、より露骨な政治介入を進めています。
 その「成果」は確実に結実しています。案の定、郵政民営化会杜の設立委員のほとんどが財界代表で占められました。先の国会で廃案となり、「働き過ぎ」「過労死」に一定の制限を与えていた労安法、時短法など改悪案が成立させられています。
 憲法九条改正、「定率減税」の廃止、公務員総人件費削減、医療制度「改革」、「市場化テスト」など公共サービスの民営化、国庫補助負担金・地方交付税の減額など、財界の要求はエスカレートしています。それを抑えることなく抽車をかけるのが小泉首相のやり方です。衆院解散の際に小泉首相が真っ先に相談したのが経団連会長であったことでも、小泉流の筋書きが見えています。

小泉流・財界戦略が教育にも

小泉流・財界戦略は、教育の場にも露骨に浸透してきています。先の中教審では義務教育費国庫負担1/2確保という良織が報告されましたが、こういう時には審議会も尊重されません。小泉首相は早速国庫負担削減を指示しました。教職員給料の引き下げも打ち出されました。障害児教育のリストラが懸念される「特別支援教育」構想も小泉内閣発足後のことでした。
 国の責任による少人数学級の実現に文科省文科相が動き出したと喜んだのもつかの間、経済財政諮間会議で「金をかける価値があるのか」とすごまれ、文科相は情けなくも主張を後退させました。
 一方で「習熟度別授業」や「こころのノート」強制、「学カ低下」を宣伝しての「学カテスト」導入、「学カ向上アクションプラン」の拡大、そして初任者研
修・10年研、「指導カ不足教員」制度や新たな「教員評価」システムの導入など
(静岡県ではコーチングスタッフも)上からの統制はじわじわと進められています。
極めつけが民主党も巻き込んでの教育基本法(憲法も)改悪動向でしょう。佐藤
学氏は、教育基本法の改悪によって、教師のモラールが「平和」「平等」「民主主義」から、「国益」「競争」「能力主義」に変えられようとしていると指摘しています。(クレスコ11月号)

ウソとはったりに対抗できる還動と教育実践

このように見ると私たちにはウソとはったりを見破る運動と教育実践が求められているといえます。犯されつつある平和、平等、民主主義を守り発展させるためにどう取り組むかが課題となっています。