再掲 この日本でも 空襲があったこと、戦争があったことを忘れない!

 6月になって、空襲のこと、戦争があったことを学びたいと思っても、現場の忙しさに紛れて、時機を逸してしまうことがあります。

 また、原爆や終戦(敗戦)について学びたくても、8月は夏休みで、問いかけができないなんてことも。

 

 だから、今頃から

    ↓ 10年以上前の2012年6月17日のブログを再掲します。

もう、「語り部」は、直接戦争を経験していない人たちに受け継がれつつあります。ご一緒に、学んでいきましょう。

この時期、浜松、静岡、清水(現 静岡市清水区)、磐田などに空襲があったことを忘れない。語ろう。

静岡大空襲については、このサイト内にも掲載しています。
「日本本土空襲」で、ウイキペディアなど参照。

浜松大空襲
 地方都市で最も空襲の多かったと言われる浜松
 特に6月18日の大空襲は、投下爆弾量、被害者数など多かった。

 

静岡大空襲
 6月19日深夜から20日未明にかけての大空襲。

 

清水(現在 静岡市清水区)の空襲
 7月7日の空襲は、大きかったと言われます。

 

 浜松、清水は、沖合から艦砲射撃もされて、大被害を受けたようです。

 
 静岡県は、軍需工場があったこともありますが、富士山、浜名湖などを目印にして、アメリカ軍のB−29が飛来していたこともあって、
空襲の多かったことが知られています。

 例えば、磐田市立磐田北小学校(旧 見附国民学校 磐田市見付)では、68年(注;2012年当時に)前の空襲被害を忘れないと、今でも慰霊祭や平和学習を行っています。
同校HP参照。
 1945年5月19日に、下校途中の子どもたち28人と、引率の若い女性教員が1発の爆弾で命を落としました。

 

 東京、京浜(富士山を目印に飛来)や名古屋、中京(浜名湖を目印に飛来)の大都市を空襲したアメリカ軍爆撃機B−29は、残った爆弾を落としてから帰還せよと言われていたからです。爆弾を残したまま帰還すると、着陸の時に危ないからでしょうか。あるいは、帰還のための燃料確保のためか。
 「爆弾のゴミ捨て場」という言い方で指示されたようです。いくら戦争とはいえ、ひどい表現ですね。 

NHK静岡が、ずいぶん前に特集しています。ご存じの方は教えてください)

 戦争を知らない世代が多くなりましたが、みんなで学びたいですね。また、知っている世代の方が、少しずつ語り始めたという話も聞きます。
 子どもたちのゲームに、残虐なものがけっこう出回っています。一定のセーブをかけることも必要かなと思っています。(←これは、当時の意見です)
 教えこむのでなく、事実を事実として知らせること、知らされていないことが多いことを、もっと伝えたい!

             2012年6月17日ブログは以上

  

 尚、新静岡 セノバの近く、伝馬町10-25中央ビル90(←90階というわけではありません)に、『静岡平和資料センター』があります。明日まで「静岡の戦争と空襲9」展を開催しています。その後も、金土日 11:00~16:00開館。

 

 また、県内各地で、夏を中心に、戦争展、平和展、つどいが開かれます。ご参加ください。

 

 Yahoo!でも、日本の空襲の特設サイトが営まれています。

  『未来に残す戦争の記憶』 検索

 

 参考になる情報がありましたら、教えてください。

 

 追;原爆が、広島では600m上空で、長崎でも500m上空で爆発するようになっていたのを、ご存じですか?